―フェアトレード(公平・公正な貿易)に興味・関心を持ったきっかけは?

30年ほど前に日本のフェアトレードの先駆者でもあるサフィア・ミニーさん(ピープルツリー・共同創設者)のことを新聞で知り、熊本から東京にまで会いに行ったことがきっかけです。

彼女は当時、東京に住んでいましたが、私に「日本ではまだ馴染みがないフェアトレードをこれから始める」とお話をされました。

彼女の言葉や行動に共感した私も、同じ主婦として熊本から何かできることがないかと考えてみましたが、子育てをしている以上、自分の身近で出来ることにしなければ、活動は続けられないと考えました。

そこで、私自身は手づくり雑貨が好きだったということもあり、熊本市内にある新屋敷の自宅を改造してフェアトレードショップをオープンし、30年続き今に至ります。

フェアトレードは、私にできることから。

 

―非常に大きな決断をされたかと思いますが、フェアトレードに近い考え方を明石さん自身が当時から持っていたのでしょうか?

実家が120年以上続く老舗の宝石・宝飾業で「売り手・買い手・世間の『三方よし』でなければ商いは長続きしない」という環境で育ちましたので、全てにフェアさを求めるフェアトレードの考えは、直感的に良いものだと選ぶことができました。

また、私が20歳の頃、フィリピンのバギオに訪問し、牧師さんから言われた一言がいまだに行動の指針になっています。

今のバギオは国内外でも人気の観光地として栄えていますが、40年以上前は、森の中に戦車を見かけるなど、戦争の様子を残していました。東南アジアを中心としたボランティア活動の中での訪問でした。

山の中にある小さな学校にノートや鉛筆を届ける予定でしたが、そこで私が持っていたノートや鉛筆を一人の子どもが全部奪い取って逃げてしまいました。

現地の大人たちや子どもの怒号・泣き声のなか、「どうしてこんなことになってしまったのだろうか」と悩み、そこで、宿泊先の教会の日本人の牧師さんに、勇気を出して問いかけました。牧師さんは意外にも「自分で考えなさい」と言われたのです。

答えのない返答に、二重に衝撃を受けました。この経験をきっかけに、さまざまな行動に対する判断は、「自分で決めて行動に移す」ようになりました。

フェアトレードは、私にできることから。

フィリピン・バギオの街並み。現在は観光地として栄えている。

 

―2011年6月に熊本市は「フェアトレードタウン(シティ)」に認定されましたが、明石さんは当時、どのような活動をされましたか?

2003年、熊本に招待をしたサフィア・ミニーさんから「フェアトレードタウンに取り組まない?」と言われました。

「フェアトレードタウン」とは、町ぐるみで、つまりは、まちの行政、企業、学校、市民団体などが一体となってフェアトレードを応援する市町村などの自治体である条件を満たしていると認定機関から認められた都市のことです。

当時は世界にもまだ数えるほどの都市しか認定されていませんでした。フェアトレードタウンの広がりでフェアトレードが世界中で当たり前になることを空想しながら、現地視察としてイギリスのオックスフォードへ行きました。

フェアトレードタウンとして認められるための5つの基準を元に、熊本市に戻ってからはフェアトレードを広めるための活動を更に加速させました。

そうしたなか、2007年にはフェアトレードタウンも世界で700都市を超え、ロンドンやローマ、パリといった首都も次々と名乗りを上げるなど、フェアトレードに対する機運も世界的に高まってきました。

フェアトレードは、私にできることから。

ただし、フェアトレードタウンに認められるためには地元議会からフェアトレードを(熊本市として)支持する決議を取る必要があり、そこは非常に大変でした。フェアトレードの認知度が日本ではまだ低いなか、説明に足るメリットを提示しなければなりません。

認知度を高め、市民からの理解を得るために、イベントというイベントに企画・参加し、それこそフェアトレードファッションショーは100回やると決めて開催しました。2年以上かけて集めた1万筆の署名を議会にも提出し、それらの活動が認められたのか、2010年12月の市議会にて「フェアトレード理念周知に関する決議」は満場一致で採択をされました。

なお「フェアトレードタウンに認定されるための5つの基準」について、先ほどお話をしましたが、この5つの基準が2011年に、まさか6つに増えてしまうなどの思ってもみない展開もありましたが、2011年6月に世界で1,000番目、アジアでは第1号のフェアトレードタウンに熊本市が認定されました。

実現に8年かかりましたが、熊本市がフェアトレードタウンに選ばれた時はまさに夢が叶った瞬間でした。

フェアトレードは、私にできることから。

 

―フェアトレードについて、消費者に特に理解してもらいたいことを教えてください。

「ハチドリのひとしずく」という南米に伝わる昔話をご存じでしょうか?

山火事になった森から多くの動物たちが逃げ出すなか、1羽のハチドリだけがくちばしに水の雫を一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。周りの動物たちは「それが一体何になるんだ」と笑いますが、ハチドリは「私は、私にできることをするだけ」と答えました。というお話しです。

それぞれが一羽のハチドリとなって、「私にできること」を実践すると、どうでしょう、、、!

フェアトレードタウン運動は、一人一人が自分にできることを実践するハチドリになることです。市民の私たちが、未来へ希望を持ち取り組むことが大事だと思っています。

私は、2016年、熊本地震で家が全壊し、2018年、火災で全焼する体験をしました。自宅や働き場所を失いフェアトレード活動の継続が危ぶまれましたが、なんとか続けてこれたのは、たくさんの方々の支援のおかげです。たくさんの方々とフェアトレード活動を推進することで、私自身も未来へ向かう心をぶれずに保てることができました。

フェアトレードだけでなくSDGsの認知や人々の意識は高まっている一方で、実際にどのような行動をとれば良いかは分からないという質問を度々耳にします。

具体的な方法として、例えば、日常的にオフィスで飲むコーヒーをフェアトレードに変えてみたり、プレゼントは、フェアトレードの商品を選ぶなど、まずは身近な出来ることから初めていくのはどうでしょう。みんながハッピーなフェアトレード製品をぜひ選択の一つと考えてください!

 

―今後の活動の構想・取り組みたいこと・野望について教えてください。

熊本市は2021年にフェアトレードタウンに認定されてから10周年を迎えましたが、世界に認められるフェアトレード先進都市を目指すことを目的に「フェアトレードシティくまもと2021宣言」をおこないました。

このような節目に、フェアトレードに取り組んでいく姿勢を市と市民が共同で宣言できたことが10年の成果だと思っています。また、30年前、フェアトレードを始めた頃は認知度も0でしたが、今では「フェアトレードを知っている人はいますか?」の質問に、ほとんどの人が手を挙げるようになってきました。

そして、昨年暮れに、熊本県が行っているSDGsアワードで私が代表を務めるフェアトレードシティくまもと推進委員会は「優秀賞」を受賞しました。フェアトレードとSDGsは同じ目的の実践であることがやっと理解されたとして、これからの活動の励みになる出来事でした。

ただ、ドイツ国内ではフェアトレードタウンが約800都市ありフェアトレードが当たり前になっている現状を踏まえれば、6都市の日本の()、フェアトレードタウンのさらなる広がりを願っています。

※熊本県熊本市、愛知県名古屋市、神奈川県逗子市、静岡県浜松市、北海道札幌市、三重県いなべ市の6箇所。2022年12月29日現在。

フェアトレードやフェアトレードタウンへの取り組みを熊本市として宣言をしたことで先進都市となり、また、日本全土が「フェアトレードアイランド」になる広がりをみせて、更にはアジア全体にまで届く実践になりますように。

ここ数年は災害が重なる体験をしましたので、命のある限り悔いることなく「自分にできること」を続けていきたいと思います。

明石 祥子

フェアトレードシティくまもと推進委員会 代表。
フェアトレード専門ショップ「LOVE LAND-angel-」オーナー。
一般社団法人日本フェアトレード・フォーラム 認定委員
2011年、アジア初、世界で1,000番目のフェアトレードシティ熊本市を実現。
2014年、ヨーロッパ以外で初の第8回フェアトレードタウン国際会議を開催。(21ヶ国、300人)
2016年、熊本地震で店舗兼住居全壊、2018年、全焼、2020年全身4ヶ所の大怪我など、度重なる災害を乗り越え、2021年、熊本市と共催の10周年事業の中で「熊本宣言」を表明。

夢は、日本全土が「フェアトレードアイランド」になること。

 

 

 

フェアトレードは、私にできることから。